おしゃべりな引越し屋さん

[日曜の窓辺から Vol.14]引越し屋さんが、海外の風を持ってきてくれた話。
やすむ 2022.11.27
誰でも

「お宅の近くにいるはずなんですけど、建物が見つからなくて……」

そう電話を受けて、家の前の道にでると、スーツ姿の白髪の男性が、家の反対方向に向かって歩いていた。

「あ、後ろです」

「あぁ、そっちでしたか、いやいや、すみません」

「いえ、このあたり、わかりにくいですよね」

引越しの下見。てっきり引越し屋さんスタイルの若い人が来るのかと思っていた。

海外引越しの下見はベテランの仕事なのだろうか。そんなことを考えながら部屋に入る。

「今日はお願いします。えーと、持っていくものをお伝えするんですよね」

「あ、その前に自己紹介を」

「あ、そうですよね、失礼しました」

名刺を受け取る。それで終わりかと思ったら、長い自己紹介がはじまった。

「私はこの会社にはいる前は、別の会社でアジア何ヵ国かに赴任していまして……」

フィリピンにタイ、インドなど……しかも、首都ではないところで、長く駐在員をしていたらしい。

「なので、持っていくもののお話など、少しお役に立てるかと思います」

「それは心強いです。フィリピンは、私もマニラに子どものころ住んでいたんです。ミンダナオは、あまり日本人はいないのではないですか?」

「そう、あのへんはテロリストがいますしね。職場のすぐそこにジャングルがあって、何度かこんな太いアナコンダに遭遇しましたよ」

現地の少し危なくて珍しい話を、嬉しそうにするかんじ。懐かしい気持ちになった。

新卒で入った会社は、私が入社した頃、ちょうど中東の大きな建設プロジェクトが受注できたところで、そのプロジェクト専門の新設部署に私は配属された。

はじめは、国内事業部から連れてこられた上司と1つ上の先輩と、私の3人だけの部署。

そこにどんどんはいってきたのが、定年して再雇用ではいってきたエンジニアのおじさまたちだ。

土木エンジニア、配管エンジニア、電気エンジニア…プロとして、海外の建設プロジェクトを転々としてきた人たちだった。

みなさん、プロフェッショナルではあるものの、世代的にパソコンがあまりできない。エクセルをプリントしたらすごく拡大されていたとか、メールがうまく送れないとか。若手として半ばうんざりしながらそのサポートをしつつも、彼らが嬉しそうに話す赴任してきた国々の珍しい話はけっこう好きだった。

日本の常識とは違うものを面白がって、日本では変わり者として生きてきた人たちだ。

腹を割ってたくさん話すカルチャーの国で働いてきたからだろうか。みんな話が長かった。

「いやいや、話しすぎてしまいました。そろそろ荷物を見ていきましょう。まずはキッチンから」

長い前段ですっかり打ち解けて、下見がはじまる。

「缶切りは持っていたほうがいいですよ。向こうは本気の缶詰がありますから」

「あとこれも大事、栓抜き。こういうちょっとしたものがないの。私はインドでこれを探して一日奔走しました」

「あと一番大事なのが、サランラップ」

「楽器と体重計は、持っていたほうがいいですね」

栓抜きは盲点だった。たしかに、この人は海外引越し下見に、適任な人材なかもしれない。

一通り下見が終わると、ダイニングテーブルで、荷物の量を計算する。向かいで私は計算を待つ。その間もおしゃべりはつづく。

「一番印象深かった国はどこですか?」

「そうですねぇ、インドかな。やっぱりあそこはね、価値観が違いますよ。私はゴアっていうところにいたんですけどね」

おもむろに、クリアファイルから、ゴアのビーチと、ホテルのフロントでサリーを着た女性が微笑む写真がでてくる。話にのってきた人には見せられるように、いつもいれているのだろうか。

「長く滞在していたホテルです。よくしてくれて、10年経った今も連絡とりますよ。彼女は今は子どもいて、すっかりお母ちゃんになってます」

ゴアの話をするとき、引越し屋さんは一際嬉しそうだった。

毎日飲んでいた、ぬるくて水より安いビールのこと。市場に牛がうろうろしていること。インドの野良犬はおとなしいこと。街は電気がなく真っ暗で、3回野良犬を踏んでしまったけど、どの犬もきゃんとも言わなかったこと。

なにか示唆があるわけでもない。でも、どうにも、私はこういう話が大好きなのだ。

【編集後記】

今日、無事船便をだしました。

子どもの頃、フィリピンから船便の荷物が届いた日の写真。きっと母は大変だっただろうけど、たくさんのダンボールに、犬と弟とはしゃいだ。

子どもの頃、フィリピンから船便の荷物が届いた日の写真。きっと母は大変だっただろうけど、たくさんのダンボールに、犬と弟とはしゃいだ。

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