ロックスターは、神で天使で教祖で、宗教だと思う

[日曜の窓辺からVol.67]ラルクのライブに行くと、つい合掌してしまう話。
やすむ 2025.01.26
誰でも

私は特定の宗教を、深く信じていない。

初詣、法事、クリスマスで良いとこどりをする、よくいる日本人だ。

でも、何年かに1回、自然と涙を流して合掌している。

そのたびに、これは私の宗教かもしれない、と思う。

先週も、気づいたら、合掌してシンガロングしながら、泣いていた。

L’arc~en~Cielのライブである。

12歳の頃から約25年ファンをしているバンドだ。

思い入れのある曲のイントロのギターやドラムの音、間奏のメロディアスなベースが聞こえると、そして、ボーカルのhydeさんが魂をこめた歌を浴びると、本当に気づけば合掌している。

よく漫画でデフォルメされる、オタク仕草じゃんと思いながらも(笑)。

このポーズは、人間という二足歩行の生き物の根源的な動作なのかもしれない、と思う。

18歳の頃からの付き合いのファン友達を、ちらと見ると、彼女も合掌して泣いている。

5万人の東京ドームの半分以上は、同じ状態だったのではと思う。

毎回合掌はしてしまうのだが、今回はhydeさんの生誕祭という位置づけのライブで、より宗教っぽい気持ちになった。

hydeさん自ら選んだセットリストは暗い曲が多かった(私含め、その暗い曲が好きなファンは多い)。

鬼気迫る雰囲気は、歌詞の中にある「肌を刻んで詩人は血で語る」という言葉を、体現しているように思えた。

その狭間で、白いライトの下、希望を感じさせる曲が祈るように歌われる。

その姿の清らかさに、神からの使者なのかなと、本気で思った。

気づけば隣の友人と、最近の推し活の人がよく言う「尊いね」というのを、はじめて心から言っていた。

中盤、hydeさんが、MCでぽろりと「生きてていいんだと思えた」と、涙ながらに言う。

こんなに存在をありがたがられるスターが、そんなことを? と少しびっくりする。

なにかそう思わせるようなマイナスなことがあったのか、ダークな曲の世界観に入り込んでいたのか、真意はわからない。

でも、彼が20代の頃に書いた、暗くて繊細な歌詞の数々を思い出す。

大御所になっな姿を見慣れて、すっかり忘れていたけれど、その頃の繊細さは、まだhydeさんという一人の人間のなかに存在しているのだと気付く。

だからこそ、その頃の歌を表現しきれるのだ。

最後は、『あなた』という曲だった。

曲の前のMCで、hydeさんは、ファンたちに「産まれてきてくれて、ありがとう」と何度も言い、ファンである「あなた」のために歌うと言う。

これはhydeさん以外にも感じたことがあるのだけど(Syrup16gの五十嵐さんとか、Coccoさんとか)、

すごいボーカリストの人が本気で歌うと、何万人の人がいても、眼の前で自分一人に向けて歌われているような気持ちになる。

この日の『あなた』は、それだった。

いろんな人がいる。たぶん変なやつ、気の合わないやつもいるかもしれない。

その5万人に向けて、この人は本気で「産まれてきてくれて、ありがとう」と思って歌っている。

それが、直で伝わってくる。

こんなに真っ向から、ピュアな慈愛や博愛のようなものを受け取ることって、なかなかない。

後半、マイクがファンたちに向けられる。

ファンたちは、合掌して、合唱である。

「胸にいつの日にも 輝くあなたがいるから」

この日のhydeさんは、ファンの歌のなかで深呼吸するように、跪き、仰向けになった。

ファンたちは、「産まれてきてくれて、ありがとう」という言葉を、全力で返したいという気持ちで、涙しながら歌った。

いつもより長く、いつもより大きな声でのシンガロングだった気がする。

「産まれてきてくれて、ありがとう」と、本気で心から伝え合う。

それを生誕祭の趣旨にするなんて。

信じてきてよかった、という気持ちになる。

ふと以前ライブに行ったときのメモを見返す。

久しぶりにコーンロウじゃないhydeさんは神だったし、観客が歌えない状況だから「みんなのかわりに歌うね」って歌ってるのは天使に見えたし、前向きな歌を歌ってるときは救世主に見えたし、とにかく神々しくて、私の信じる宗教はhydeだったということを、久しぶりに思い出した。
2021年5月29日のメモより

すっかり忘れていたけれど、似たようなことを言っている(笑)。

でも今回は、それに加えて、人間なんだなとも思えて、より一層、涙してしまったのだ。

―――――

hydeさんの他に、私がつい合掌してしまうのが、oasisのボーカル、リアム・ギャラガーさんです。ソロライブでLive Foreverを聞いたときは、後光が見えました(笑)。

一定のレベルを超えたロックスターやアイドルって、時代が違えば、教祖だったのではと思います。

秋のoasis再結成ライブのチケットをとれておらず、まだチケットのある&ちょうど友人が住んでいるメルボルンに、家族で行くことも検討しています。

もう一つ、書きながら思い出した、是枝監督がCoccoさんのライブツアーについて書いた言葉を。


彼女はその場所を訪れ、感応し、血を流し、曲を生み、唄う。その姿はミュージシャンというより宗教者の巡礼のようでした。

僕自身も「これはライブツアーではないな。その場所で祈って、唄っている、その連続じゃないか」と思っていたのです。
是枝裕和著『映画を撮りながら考えたこと』



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