ホーチミンで一休みする駐妻たち
仕事を辞めて、ベトナムに行って、娘が産まれるまでの1年ほどは、人生で一番ゆっくり過ごした。
娘と過ごすようになってからよく思い出すのが、ベトナムの禅僧ティク・ナット・ハンの言葉だ。
子供を持つ前に1年ほどの時間をかけて、自分自身を深く見つめ、愛を込めて話し、深く耳を傾け、そして自分も子供ももっと楽しく生きるために役立ついろいろな実践を身につけることができるといいですね。
世界に新しい命をもたらすことは、一大事です。
自己の内面を深く見つめ、子供を持つ心の準備のために1年を費やすことは、必要といっても過言ではありません。
東京で働いたまま、娘に会ったら、私の精神状態も、娘との関係性も、全然違うものだったかもしれない、と思う。
仕事も街も好きだったし、夫も友達もいて、楽しく過ごしてはいたけれど。
いつも時間に追われていて、食事も生活リズムも適当だったし、「自分自身を深く見つめ、愛を込めて話す」ことは、今より不得意だった。
バイクに乗って、風をきりながら、ぼんやり夕方の月を見上げたこと。
日々、夕陽が沈むのを見る時間があったこと。
時間を気にせずに、好奇心の赴くままに街をふらついたこと。
誰のなんの役にも立たなそうな、文章やら脚本やらを、思う存分書いたこと。
好きなカフェに、平日昼間から行ったこと。
時間を気にせず、お店の人とおしゃべりしたこと。
なんの役に立つかを考えずに、完全な娯楽で読書をしたこと。
そういう一つひとつが、ティク・ナット・ハンの言う「自分も子供ももっと楽しく生きるために役立ついろいろな実践」だったように思う。
(「役に立たないことをしよう」というのが、当時の行動指針だったのだけれど、結果的に役に立ったんだなと、書きながら気づいた)
ホーチミンには、私と同じように、悩んだすえに、夫の駐在への帯同を選び、キャリアを中断した駐妻の人たちが、たくさんいた。
そういう駐妻の人たちと、翻訳版の編集を担当した『デュアルキャリア・カップル』の読書会をしたこともあって、キャリアに関する葛藤の話をいくつも聞いた。
一方で、キャリアを中断したからこそ、癒やされたもの、得ることができたものも、ある気がするという話も、ちらほら聞く。
それは、自分の選択を正解にしたいという思いからくるものかもしれない。
でも、立ち止まる必要がある人が、巡り合わせで、常夏の緩い雰囲気の街に集まって、一休みしていたのではないか。
私のように、子供と会う準備をするために一休みした人もいるし。
キャリアの新たな展開の前、新たな才能に出会う前の一休みに見える人もいる。
やるべきことに全速力で、疲れすぎていたなと、ただ気づくことだって、必要なときもある。
ホーチミンで会った駐妻の人たちを思い出すと、そんなふうに思えてくる。
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駐妻仲間で凧揚げをしたら、なんだか肩の力が抜けたという話をしていた方がいました。
大人の女性たちが、子どもの時以来の凧揚げをして、非正規のキャラクター凧がふわりと揚がる。
私は一緒に凧揚げはしていないのだけれど、その話を聞いていいなぁと想像した風景を、たまに思い出します。

レインボーの羽のあるピカチュウやエルサの凧が売られている、ホーチミンの凧揚げスポット
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