覚えています、25歳になりました
前回、東京はよそよそしい印象と、書いたけれど。
ある一定の年齢の人には、娘を見てよく声をかけられる(よそよそしいなんて書いて、東京ごめんと思うフレンドリーさで)。
おそらく60〜70代、私の親世代の人たちだ。
8月。帰国してはじめて、娘に話しかけた他人は、炎天下の工事現場前で交通整理する男性だった。
「いいこに、ねんねしてるねー」と嬉しそうに、娘に笑いかける。
帰りに同じ道を通ると、「お、起きてるね、暑いね」と、また笑いかけられた。
その次は、図書館のトイレだ。
抱っこ紐に娘をいれて手を洗っていると、へへっと娘がふいに笑い出した。
なんだろうと笑顔の先を見ると、60代くらいの女性が、娘をあやしてくれていた。
お礼と少し会話をすると、帰り際「あなたは日本の宝!」と、娘に力強く言って去っていった。
宝と言われた娘は、ぼんやりと女性が去っていったほうを見ていて、トイレで1人で少し笑ってしまった。
ある日は、同じような年代の女性5人に、ばらばらの場所で、話しかけられた。
「足をぴっとね、あげるのみんなやるよね」
「歩くとまた大変よ、かわいいんだけどね〜」
「うちにもこのくらいの孫がいるのよ」
「髪くるくるね」
などなど。
市役所からバス停までの道で話しかけられたのは、またそのくらいの年代の鳶職の男性だ。
「このくらいのときさ、飴玉とまちがって、ビー玉食べちゃってさぁ、あれは焦ったぁ。はは、なんでも口にいれるからね」
子どもか孫の思い出話らしい。
「それはこわいですねぇ」と、相槌をしながら歩く。
進む方向は同じなので、並んで歩く形になる。
しみじみと娘を見ながら、男性が続ける。
「置いといたつもりなんてなかったんだけどさ。こわいね、なんでも口にいれちゃうんだもん。飴玉だと思ったのかね」
その後について聞くと、病院に行って事なきを得たらしく、ほっとした。
「気をつけようね」と娘と話すと、うむというように、男性は去っていった。
ショッピングモールでエレベーターにのったときのことだ。
深い猫背に鼻めがねの欧米系の男性が、ふてぶてしくベビーカーに足を投げ出した娘を、真顔でじっと見ていた。
なにか気になることがあるのかなと思っていると、男性が急にくっくっくと笑って、びくりとする。
エレベーターの扉が開く。
「覚えています、25歳になりました、くっくっ」
男性は流暢な日本語でそう言い、去っていった。
25歳になった娘さんの赤ちゃん時代を、思い出させる姿だったということだろうか。
話しかけるのは、自分の子どもや孫と重ねている人が多いらしい。
実家の母も、一緒に歩くと、嬉しそうによく子連れに話しかけている。
たしかに25年後、娘に似たくるくる毛で、ふてぶてしい足でベビーカーに乗る赤ちゃんを見たら、60代の私は、顔をほころばせて思い出話をしてしまいそうだ。
———
もしかしたらベトナムの人たちが、世代問わず子どもとの距離が近いのは、子どもの絶対数が多くて、身近に子どもがいる人が多いからかもしれません。
ちなみに「日本の宝」は、電車でも言われたことがあって、日常的に使う言葉なんだなと、はじめて知った最近です。
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