綿毛と須賀敦子さんのミラノ
ミラノの空港をでると、綿毛がふわふわと舞っていた。タクシーのドアを開けると、車内にはいってしまいそうなくらい多い。
Airbnbまでの30分、タクシーは整然とした街を通り抜けていく。
FENDIの黄色い路面電車。こんな洗練されたかわいい広告があるなんて。まさにミラノのイメージどおり。

高級そうな毛並みの犬が、ちゃんとした格好をした飼い主(決してジャージなどではない)と歩いている。
全身黄緑のシャツとパンツを、着こなすマダムがいる。
その間を、綿毛がふわふわと舞っている。それは洗練と幻想が混ざった、不思議な風景だった。
ミラノに来たのは、2回目だった。17年前、1回目の記憶は、ドゥオーモと呼ばれるアーケードを見て、ディズニーランドみたいだなと思ったことくらいだ。
そのときに比べると、ミラノで暮らした随筆家で翻訳家の須賀敦子さんの作品を、飛行機で読んで、楽しみにしてきた。
須賀敦子さんという人を教えてくれたのは、新卒で働いた会社の同僚だった。
当時、イラクの部署にいた私は、危険で自由のないイラクで暮らす駐在員たちに、物資を送る担当だった。
自分が駐在したいのにと、内心文句を言いながら、食料や頼まれたものを詰める。
そのなかに、本もあった。10年以上前、まだ電子書籍化している本は少なかった。皆で紙の本を回し読みしたり、Amazonで日本の本社宛に注文して私に物資にいれるよう頼んだりしていたのだ。
瀧本哲史さんの『僕は君たちに武器を配りたい』という本を頼んで、「物騒なタイトルな本をイラクに送ってもらうことになるけど、そういう内容じゃないので心配しないでください(笑)」と言う人もいれば、カズオ・イシグロの『私を離さないで』の原書を送る人もいた。
カズオ・イシグロの人は、少し体育会系な雰囲気だった当時の会社には珍しく文学系の本が多かった。趣味が合いそうだなと思って、おすすめを教えてもらったのが、須賀さんだった。
まず手にとったのが戦争前後の日本で女学生をしていた須賀さんの本との記憶を追う『遠い朝の本たち』。その次に、ミラノにあるコルシア書店での日々を描いた『コルシア書店の仲間たち』。
その独特な空気感の文章に、特別な作家さんなのだなと思った。
須賀さんの「ミラノの季節」というエッセイに、ミラノの春は「ほんの挨拶程度」しかないと書いてあった。
寒い寒いと言っていたら、いっぺんに暑い夏が来るのだと。
綿毛が飛ぶミラノの街は、薄い上着を着てちょうどよい陽気で、私たちは貴重な春のミラノに来たのかもしれないと思う。
ドゥオーモは観光客だらけで、今回もあまり心動かされなかったけれど、その先には『コルシア書店の仲間たち』の舞台、元コルシア書店がある。
須賀さんや本のなかの人たちが、何十年も前にここをうろうろして、夜にアイスクリームを食べたりしたのかななどと、想像する。
その頃は、このあたりも、もっと人が少なくて、落ち着いていたのだろうか。須賀さんの描くミラノは、こんなに雑多ではない。本のなかの白黒のイメージのミラノを、街に重ね合わせて歩く。
コルシア書店があるはずの教会は、カルバン・クラインの大きな布看板で覆われていた。改装中なのだろうか。

須賀さんファンのブログでは、この教会の向かって右側の小さなドアの先書店になっているようだった。
ドアに近づくとそこに書店の名前はなく、ドアの前はホームレスの人の寝床になっていた。
少しがっかりして帰路につき、その3時間後、私は慌ただしくホーチミン行きの長時間フライトに乗った。
ただ今思い返すと、あのふわふわとした綿毛の景色は、『コルシア書店の仲間たち』の大好きな最後の一文にどこか重なるような気がした。
若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。
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今回イタリア行きにあたり、大竹昭子さんの『須賀敦子の旅路』を新たに買って読みました(こういう本もkindle化されている、嬉しい現代!)。
生前から須賀さんと親交のあった大竹さんが、須賀さんがイタリアや東京で過ごした道を辿るエッセイ。
美しい文章の須賀さんが見た景色をさらに描写するなんて、かなりハードモードなテーマなのではと思ったのですが、美しい距離感と洞察のある本で、一番のイタリアガイドブックになりました。
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