フーコック島の犬雲と、夕空の向こうの街

[日曜の窓辺からVol.48]リゾートでの台風直撃と、晴れ間に見えた雲。
やすむ 2023.11.13
誰でも

9月の初め、ベトナム南部、フーコック島に行った。

雨季でベストシーズンではないけれど、8月は同じ南部のホーチミンも晴れが多く、一日中雨ということは少なかった。5日いれば、美しいビーチを満喫できるだろう。

……というのは、大きな誤算だった。

いつもは10月に来るという台風が直撃。幻の牛「レイヨウ」の名前を冠した台風だった。

少し奮発した部屋は、ビーチまで20歩。

エメラルドグリーンの海を見るつもりが、灰色に荒れた海と、ごぉごぉという風の音、定期的に訪れるスコールを見聞き放題となった。

せっかくだからと、昼間は荒れた海でもじっと見ていた。たまに雲の切れ間に少し見える、青空もじっと見た。

あまりにじっと見ていたので、幻の牛レイヨウも、ついこちらをじっと見てしまっていたのかもしれない。台風は一向に去る気配がない。

そして、古の人類の記憶があるからか。いくら海好きでも、明らか危険そうな海を見続けると、人は不安になるらしい。

気持ちがざわざわしてきたので、到着3日目、持ってきていた『百年の孤独』を読むことにした。

2年間積読にしていたこの重量感のある本は、きっと晴れやかなリゾートだったら、読む気がおきなかっただろう。でも、ときにおどろおどろしい描写もある長編は、嵐の風にぴったりだった。

その夕方、少し晴れる気配がした。空の灰色が少し薄くなっている。

嬉しくて本を置いて空を眺めていると、横に細長く伸びた雲が横切った。胴長のダックスフンドのようだ。

真ん中の椰子の木、右側にダックスフンドがいるように見える。

真ん中の椰子の木、右側にダックスフンドがいるように見える。

子供の頃、飼っていたダックスフンドと、階段上の小窓から、よく雲を見ていたのを思い出す。

正確には、犬の視力ではゆっくり動く雲は追えないはずなので、雲を見ていたのは私だけだ。

犬は耳を澄まして、私には聞こえない音を聞いていた。

その時間を思い出して、雲をぼんやり見るのは久しぶりだったことに気づく(東京の空は狭かったし、ホーチミンの空は排気ガスで曇っている)。

ダックスフンド雲が、晴れ間を連れてきてくれたのか。

翌4日目の朝には、太陽の光と青空が見えた。打ち寄せる波はまだ灰色で荒かったが、向こう側にはエメラルドグリーンが見える。

時折小雨は振るし、海に入ることはできないながらも、嬉しくてビーチから、プールから、ベッドから、思う存分海を眺めて、昼寝をした。

夕方、雲の間の空が開けた。オレンジ色の光も見える。

嵐の名残の風で、雲の形はどんどん変わり、光のバランスも移ろいでいく。

移ろうなかで、黒々とした雨雲も、復活してきた。

大きな牛型の雨雲を、犬型の雲が威嚇しているように見えた。

左下が雨雲、右側が犬に見える雲たち。

左下が雨雲、右側が犬に見える雲たち。

雨雲は犬雲たちの攻勢に負けず、どんどん大きくなる。

ただ大きくなりきる前に、雨雲の向こうに、街のような風景が見えた。

雲の向こうのオレンジ色が、メコン川の水面のように揺れ、その間に点在する黒い雲は橋と小島に見える。

それはもう一つのベトナムの街のようだった。

真ん中少し左側の下あたりが、街に見えた。

真ん中少し左側の下あたりが、街に見えた。

昔の人は、こういう風景を見て、神話や冒険物語をつくったのだろう。

犬雲たちが、あるかもしれない世界を見せてくれたようで、その日は暗くなるまで、ずっと空を眺めていた。

―――――

最終日の5日目はまた雨と風で、結局フーコック島の大半は、雨風とともに過ごすことになりました。

それでも、犬雲たちが連れてきてくれた夕焼けの中のもう一つのベトナムの街で、とても幸せな5日間だったと思えました。

ベジタリアンメニュー豊富&日替わりのカラフルなテーブルクロスの朝ごはんも、嵐の5日間、心を晴れやかにしてくれました。


▼泊まったところ。とはいえ、乾期にリベンジしたい。

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