ナポリ、マラドーナを祀る水色の町
駅をでると、水色の旗を持った集団が歌っていた。水色の煙も立ち上っている。
ローマから1時間と少し電車に揺られ、到着したナポリの街は、想像していた以上に雑多な雰囲気だった。

ゲストハウスに向かうために地下鉄の駅に向かうと、封鎖されていた。ここにもまた水色の集団が群がっている。
柄が悪そうなお兄さんたちが目立つが、よく見ると、子供やおじいさん、おばあさんも混ざっていた。
路上では、水色のタオルや風船、旗を売っている。どうやらサッカーのサポーターたちらしい。
タクシー運転手たちは、今がチャンスとばかりに、ぼったくりの値段を言う。
さんざんうろうろして、もう高くても次の人にしようか言っていたら、次の運転手さんはまともな値段(他の人の半額)を提示してくれた。
駅前から抜け、古い建物の間にはいると、建物の間に無数の水色のリボンがわたされていた。
そういえば、映画で見たナポリの街は、建物の間に洗濯物が干してあったのを思い出す。今は洗濯物のかわりに、特別にこのリボンということだろうか。

運転手さんに「サッカー?」と聞くと、イタリア語で返ってくる。「そうだ、大切な試合な日で、この街は大変なんだ」というかんじのことを言っていそうだった(イタリア語は、チャオとグラッツェとボーノしかわからない)。
リボンは次の路地にも、次の次の路地にもあった。選手の顔写真がリボンから垂れているところもある。
アルゼンチンの伝説のサッカー選手、ディエゴ・マラドーナの垂れ幕も多い。しかも、一際目立っている。ここはイタリアなのに、なぜだろう。
ゲストハウスは路地の古い建物の一つにあった。建物の玄関までおりてきたオーナーが、迎えてくれる。
まずは建物自体の古い木の扉の鍵、次にエレベーターの鍵、エレベーターを上がったら、ゲストハウスの第一扉の鍵、第二扉の鍵と、4つの鍵の使い方が、少し巻き舌な英語で説明される。
その間も、外から人々が盛り上がっている声が聞こえる。少し治安の悪い街なのかもしれない。

「今日はサッカーの試合なんですか?」
元サッカー部の夫が、少しわくわくと聞く。
「そう、ナポリのチームが33年ぶりに優勝するかもしれないんですよ」
「それでこんなに盛り上がっているんですね! 試合はこれから?」
「15時からだから…あと10分だね」
「おぉ、すごいタイミングだ」
「実は……僕はサッカーって、好きじゃないんだよね。この街では大きな声では言えないけど」
オーナーが苦笑いをしながら、少し声をひそめて言った。
ゲストハウスは、古びた建物の外観とは打って変わって、真っ白できれいで静かだった。雑多な外とずいぶん雰囲気が違う。
清潔な白い壁と床に、猫の形をした時計や、オレンジ色のソファなど、ポップな家具が並ぶ。
カウンターで編み物をしていたオーナーの奥さんも、笑顔で迎えてくれる。この人も、このあとすぐはじまる試合には、まったく興味がなさそうだ。
コルクを模したかわいらしいテーブルと椅子に座ると、オーナーが飲み物とケーキを持ってきてくれた。
ケーキは、几帳面に切られたいちごとチョコソースで飾り付けしてあった。カプチーノには、ココアで太陽の絵が描いてあり、フォークはウサギの形のホルダーにはいっている。一つひとつ、自分がかわいい、好きだと思っているものをゲストに提供しているのが伝わってくる。

壁には、いろいろな映画のパスタを食べるシーンの写真が並んでいた。一番端の2枚だけ、パスタを食べていない。少し占い師風のきれいな女性と、ダリ風のひげと化粧の男性。よく見ると、それは仮装をしたオーナー夫婦だった。
通された部屋は、ピンクがテーマカラーだった。予約サイトの写真によると、このゲストハウスは、部屋によって世界観があって、青や他の色がテーマカラーの部屋もあるらしかった。
ベッドサイドには2つドライヤがある。1人1個ドライヤがあるのかと思ったら、それはドライヤの形をしたベッドサイドランプだった。

壁の絵をよく見てみると、この部屋は美容院がテーマらしい。子どもの頃、バービー人形で遊んでいたときの気持ちを思い出す。

夫が今日の試合について、インターネットで調べる。今日勝ったらナポリが優勝、ディエゴ・マラドーナは33年前に、ナポリを優勝に導いたヒーローだったようだ。
外から歓声が聞こえる。試合が盛り上がっているらしい。窓の外の景色も、水色のリボンの路地だ。
ただこのゲストハウスからは、リボンをわたしていないところに、オーナーの意志を感じる。

老若男女がサッカーに熱狂する街。その街のたくさんある古い建物のワンフロアを、ひっそりときれいに改装して、自分たちがかわいいと思う世界観を丁寧に作り上げた。
そのオーナー夫婦の世界観が、文化系な私にはとてもほっとする。
オーナーにもらった名刺を見ると、そこにはあのヒーロー、マラドーナと同じディエゴという名前があって、その皮肉に少し笑ってしまった。
———
結局その日の試合は引き分けになり、優勝は次の試合までお預けになりました。
ただその夜は、路上でみんながお酒を飲んでいて、街中がパーティー状態。
街角のマリア様像のすぐ横に、マラドーナの旗が並んでいたりして、なんだか祀られているようでした。
ディエゴもこっそり打ち明けるわけです。
2日後、空港へ移動するタクシーの運転手さんとも、サッカーの話に。
「僕はこの街で唯一だと思うんだけど、サッカーが嫌いなんだよ。妻にも笑われるけどね」
サッカー好きだらけの街で、なぜか2人もサッカー嫌いなマイノリティに会えて、少し嬉しくなりました(もしくは外国人にだけこっそり打ち明ける人が、意外といるのかも?)。
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